昔々、お爺さんとお婆さんには明日食べるお米もなかった
 「秋の夜長の灯り展」、引き続き紹介します。

私のデジカメではこのぐらいの範囲でしか全体は写せないです。
南伊豆観光交流館の多目的ホール、こう見ると結構広いです。

非常にわかりにくい入り口を入ると左手に主に「南伊豆陶芸クラブ」の方々の作品がずらりと並んでいます。
鈴木さん、佐々木さん、遠藤さんなど、みいづでおなじみの方もいます。
一番奥のどん詰まりに佐藤工房の作品があります。

会場の中央の一等地を占めているのはみいづ会長の島川さん、その後ろに先に取り上げた風さん、そのさらに背後に金子さんの染め布がお月見セットのようにインスタレーションされてます。
左手上にボーと白く見えるのは佐藤工房です。

「山蔓人」高橋さんの「夫婦灯り」ともいえるような非常にレアーな作品です。
会場入って右手受付のすぐ隣にあります。「立ち上がった毛深い自然薯・・」の精がエネルギーとなって・・いやとにかくこれは一見です!

明日からは朝9時から夕4時までの開場となります。
ほとんどの窓に暗幕をかけたので、昼間でもかなり暗くはなっています。後は気分の問題ですが、そこはそれぞれの作品が独自の光を放つことできっとクリアーされることと思います。
昔「幻灯」と言う言葉がありました。闇の中から創られた言葉です。
# by satokobo | 2009-11-23 00:17 | 南伊豆ギャラリーみいづ | Trackback | Comments(0)
やっぱり灯りは夜ひらく、今までで一番いいかな

風さん、いつも素晴らしい作品です。

かたや、佐藤工房の流木です。悪くないでしょう。

花火みたいにはじけてます。関本さん。

明日、日曜日は夜8時までやってます。朝はフリーバザール!
やっぱり灯りは夜でなくちゃ!
暗闇の町、明るいのはコンビニだけじゃー情けなさ過ぎる。
灯り展の写真、順次アップしていきますね。
# by satokobo | 2009-11-22 00:46 | 南伊豆ギャラリーみいづ | Trackback | Comments(0)
南伊豆「灯りフェチ」展、始まる
 今日から南伊豆みいづの「秋の夜長の灯り展」が始まりました。

佐藤工房も何とか一夜漬けの作品を収めてきました。(白菜やキュウリじゃないですよ)
昨日ちょうど三浜小学校の参観日で、その授業参観が終わった後に佐藤工房カフェで、6,7人のお母さん達が集まって軽い「昼食会」をやったんです。
最初2,3人と言ってたのが急に増えちゃって、おまけに時間変更などもあり、昼間のうちは「灯り展の作品創り」どころじゃなかったのです。

マンハッタンクラムチャウダーと多(無)国籍ドライカレー(パスタ)のメニューでしたが、自分で言うのもなんですが、まずまずの出来だったと思います。チャウダーに使った牡蠣とカレーのゴーヤが効いたな。
でも、辛い物好きのノリミちゃん始め、お母さん達はもっと辛いカレーでも良かったみたい。皆刺激が欲しいのか、少々の刺激には慣れっこになっているのか、一見普通の常識あるお母さん達ですが誰もがすぐ「ノリピー」になれる時代なんだろうね。おかげさまで、その日に売り切れました。よく食べるセクシーなお母さんたち、どうもありがとうございました。

女の時代ですから・・などと書いても佐藤工房の周りには、あからさまに睨み付けてくるような「フェミ」は見当たりません。政治的、社会地位、企業組織、などの間ではまだまだ日々ムカつき続けてる女性と言うのは沢山いるのでしょう。その辺の世界は佐藤工房も無縁の世界なのでよく知りませんが、こと家庭や地域、学校、などではお母さん達に限らず女性はノビノビやっているように見えるのですが、それも私の近辺もしくは、私の偏見に過ぎないのでしょうか?
思うに女性はもともと男のように「競争的」「戦闘的」にはできてないと私は考えるのですが、しかも女性同士ではどうか知りませんが、男と戦うなんてことははなから馬鹿げています。ま、男と言うのはそこを巧く、ずるく、付け込んだんでしょうがね。しかしその前提となる共同体も今はほとんど崩壊です。とりあえず女を囲っていた柵はほとんど倒されました。それを知って、そこから自由になるか、知らずにそのまま留まるか、どちらでも良いか、ないか、全ては貴女の勝手です。いやもう一つ、新しい別の柵を作るという方法もありました。そこに飼われるのは大きな「戦争を知らない子供」たちでしょうかね。

女に男が必要でなくなったように、男にも女が必要でなくなってきました。
ただ、男の場合、女は要らなくても、お母さんとか、お姉さん、もしくは小さな妹、なんかは欲しがるんですね。
これがアキバ系だと、「メイド」ですか?もう古いですか?
アキバ系腐女子だと「ヤオイ」って言うんですか?もちろん実質男じゃないですね。不思議な世界です。
佐藤工房に言わせると、これらはいずれも「フェチ」に源流があるんですね。
「性の多様化、混乱」と言うよりは、個人の嗜好性の問題です。「SM」なんかもそうです。
「種としての共同性」が壊れて、個の嗜好性の華が咲いてる、と言う感じでしょうか。
だから共同体としての種の保存、つまり子供は必要ではない=少子化、しかし個人の所有物あるいは自己の分身としての子供=愛玩物は欲しがったりする。

また永田町の馬鹿どもが「児童ポルノ規制」とかこういう時だけは仲良く超党派で息巻いてますね。これをやると超簡単に「いい人」になれるんですよ。反対のしようがないでしょう。「児童ポルノ賛成」なんて言ってごらんなさい、非国民どころか「非人」扱いですよ。
そうかと思うと、一度やめたはずの「国営漫画アニメ秘宝館」の話をまたやりだしてるでしょう。「党」が代わっても何も変わらないんですね。日本が世界に誇る(売れる)漫画アニメの世界は「児童ポルノの宝庫」ですよ。
世界はその日本の他に類のない自由な嗜好性=フェチ、を買っているのですから。
なにをかいわんやです。

さて、自由と平等、これはけして両立はしないのです。
日本人ってやっぱり「平等フェチ」が圧倒的ですね。
# by satokobo | 2009-11-21 00:53 | 佐藤工房カフェ | Trackback | Comments(0)
たてまえと本音で宇宙はできている

 昨日作った「宣伝コピー」です。
悪いメッセージは何もないでしょう。強いて言えば「佐藤工房」(そのものズバリ)、「勝ち組」(イヤミー!)、「800円」(高いかな?)
どうしてもね、佐藤工房が作ると地が出てしまうのね。なにしろこの「メッセージ(宣伝)」で大儲けを企んでいるのですから!!!

さて「良いことをすると何故気持ち悪くなるか?」・・ちょっと趣旨が違うかな、「良い人を見ると気持ち悪くなる」・・これもちょっと違う。フォローアップのつもりで書いてるのですが、どうもブレるな~
「いい人で何が悪い?」・・むしろこの流れですね。「大儲けして何が悪い」・・いやこれはよくない。「少しぐらい儲けてもいいでしょう」・・このぐらいじゃないと風当たりが強くなる。
「ささやかないい人」です、愛されるのは。

佐藤工房での喜楽童さんたちとの話は、実にわきあいあいとしたものでした。上のような話などしませんよ。
皆いい年した大人ですからね。子供の喧嘩のようにはなるはずもありません。あ、でも最近は喧嘩する子どもっていないのでしょう?いじめはあっても。・・あ、大人もそうなのか。
でも、コーヒーなど飲みながら、お互い言うところのことは言いました。と言うより、話の流れとしては、「どうして気持ち悪いのか」について私は最初言及をかわしながら、向こうから呼び込みがあるまで待っていました。
なにしろ喜楽童さんは大変頭の良い方で(いい人であると同時に、それ以上に)自分のやっていることは大変よくわかっている謂わば「確信犯」なのです。(なんて、イエローカードかな?)

つまり、彼らは私が気持ち悪くなるという理由も既に知っていたのです。
そしてそれは私以外の多くの人が気持ちがよくなる、といことでもあるのです。だからこそ彼らはそれを「仕事」として成立させていられるのです。
喜楽童さんは「いい人」を売っているのです。多くの人を気持ちよくすること、それが彼らの商売であり、その気持ち良さを求める多くの人のニーズに応えているわけです。その人たちが増えれば増えるほど大儲けでしょう。儲けて何が悪い?しかも「いい人」で。もちろん、本当に本当に「いい人」達なのです。もう一つおまけに「本当」に。(いやみじゃないですよ、本当に)

「本気で歌ってるよ。いつも、本気で」
ハッキリと言ってました。嘘偽りなくそうなのだと思います。
ただ、こうも言ったのです。
「僕たちの歌で気持ちよくなる人がいると言うのもおかしいと言えばおかしい」

そこで私はやっと「そうでしょう。」と言いました。

この部分だけ取り出すと相当誤解を生むかもしれませんね。
1時間以上も多くのことを会話しましたから、お互いにある程度の理解はありました。と、私は思っています。
特にToshiさんの方はとても落ち着いて理性的、整然と話が進みます。時折つまらないオヤジギャグみたいなダジャレも出ますが。
七海さんの方は「自分に悪いところがいっぱいあるから、いい人になりたいと思う」なんてことをおっしゃってました。いつものことですが、女は謎です。私も「そりゃ、一番悪いパターンだ。」などとわけのわからんことを言ってました。

さて全ては氷解しました。
何のわだかまりもありません。最後に「喜楽童」と「藤原新聞」のアドレスをご紹介して終わりにします。
喜楽童
藤原新聞

最近の宇宙ってこんならしいです。
あ、ところで、私の気持ち悪くなった訳わかりました?
# by satokobo | 2009-11-18 00:21 | 佐藤工房カフェ | Trackback | Comments(0)
わるい人
 クルミをたわしでゴシゴシ洗っていました。
西風が吹いていたのですが、天気がよくポカポカと気分が良かったです。時々日に当たらないと陰気になるそうです。
丸いボールにいっぱいだから100個か200個ぐらいはあったのかな、一個一個丁寧に洗ってきれいにするんです。朝から1,2時間ぐらいやってたかな~意外とこういう地味ぃな作業好きなんです、黙々とね、あれこれ考えたり考えなかったたり。ただし人からやれと言われても同じようにはできませね。どうしてでしょう?時給800円やるから・・と言われてもね、とたんにバカバカしくなってしまう?そんなことないでしょう、仕事は同じなんだから。
お金稼ぐのって大変です。クルミをゴシゴシ洗うだけで・・道路に穴を掘ったり埋めたり、また掘ったりそしてまた埋めたり、またまた掘ったり・・賽の河原の石積みも時給800円ならいい仕事かも。

なんてこと思いながらゴシゴシ(時給もないのに)やってると黄色いVWが佐藤工房カフェに入ってきました。
言わずと知れたPさんとヨッタンですが、車から降りて開口一番「いい人たちを連れてきた。」
「いい人たち!」(この賽の河原にやって来ると言えば・・)
「気持ちの悪くなる音楽をやってる人たちよ~ん。」
「わ、いきなりそこから始まるんかい!」

「喜楽童」のお二人でした。
もちろん初対面です。この話を最初からするととても長くなってしまうので、ごくごくかいつまんでやりますが、昨日下田のスパイスドッグで「さいはて家族」(喜楽童+Pさん)のデビューライブというのがあったのですが(私は見てません)、以前Pさんに、みいづの当番の時に「喜楽童」のCDをかけて聞いていたら「気持ちが悪くなってきた」と言ってしまったんですね。(音楽と言うより、その歌詞なんですが)
するとPさんもヨッタンも大笑いして(ここが大事)、「さすが言葉の人、佐藤さん」と言うのですよ。んで、ついつい調子にのって、まあ、言いたい放題、いつもの調子で戯言を並べてしまったわけですな。ナハ・・
ホイで、「今度、いっぺん、佐藤工房に連れて行くわ。」(随分前の話だったのですが)
と、あっさり今日のよき日のご対面となったわけです。まー、だから驚きはしないのですが、それにしても、のっけからご本人に「何で気持ち悪くなるんですか?」とは、ちょっとくるみゴシゴシのモードからは「ありゃりゃ~」となってしまった訳です。

「喜楽童」さんについては、知る人ぞ知る今をときめく「ディジュリドゥ」を操る夫婦ユニットですね。
Pさん発行の「藤原新聞」にその紹介記事があって、私もそれではじめて知った程度なので、「喜楽童」さんが原因で「気持ちが悪くなった」などとはとても言えたものではないのですが(大変心外でしょうね)、みいづで販売してるCDの歌の言葉に、つい私の気分に引っかかるフレーズが、何度も何度もリフレインされて出てきたのですね。
いや、実は、何度も何度もそのCDをみいづで流してるのです。正直言って聞きたかったわけではないのです(気分よくなるためにね、音楽ってそんなふうに聞くでしょう)。ただね、私としては、気になるのです。音楽や演奏、歌声までなら、問題ないのです。
言葉なのです。つまりメッセージとしての歌詞です。
どうして、その言葉(メッセージ)を聞くと、私の気分が悪くなるのか?私としてはそこを考えてしまう、そしてまた聴いてみる。(こういうアプローチの仕方好きなんですね)
「喜楽童」さんの言葉には、たったの一言も、悪いとか、汚いとか、ネガティブでマイナスイメージの言葉は出てこないのです。(喜楽童って名前からも伝わるでしょう、こんなパンクバンドないですよ)
ただただ「いい人」たちからのメッセージが届けられるのです。(普通それが気持ちよく作用するらしいのですが)
それがたまたま私の「わるい人」に届くんですね。(ま、へそ曲がりなんですわ)

「いい人」たちと「わるい人」、さて、実際佐藤工房カフェでどんな話をしたと思います?また明日(やっぱり長くなった)
# by satokobo | 2009-11-16 00:42 | 佐藤工房カフェ | Trackback | Comments(0)
村の灯りか、孤独の闇か 友達のいないあなたに
秋の夜長の灯り展
11月20日(金)~11月26日(木) うち20~22日は朝から夜8時まで
南伊豆町観光交流館多目的ホール 入場無料
主催 みいづ(南伊豆クリエーターズ)

と言うことなのですが一般の参加者も募集中 (参加費1000円)なので、興味のある方は是非どうぞ! 問い合わせは、みいづ島川0558-67-0008です。

佐藤工房も参加します。
とは言うものの、まだこれといった絵が浮かんできません。
やる前からこんなことを言ってはいけないのですが、会場スペースとしての新しい観光交流館があまりにつまらなすぎるんですね。ただの空っぽの入れ物としてだけ考えてればそれでいいのですが、それにしても以前のギャラリーみいづのような自由度がない。観光協会の管理下という公的な制約の中で、朝の9時から「秋の夜長の灯り展」もないだろう。
ま、何事も世間のルールの下、その範囲内でどこまでのびのびやれるか、あるいはそのルールまで含めて、さらには世間そのものまで射程範囲に入れてどこまで戦えるか、自分の立っている土台からして問い直していく方法を持たない限り、世界は始まらない。
いや、あらかじめ閉じられた世界にはそこで面白おかしくやっていく方法もむろんある。皆いい人になって、その和をぶち壊しに来る恐れのある者をうまく排除して行けばいいのだ。かくして村は作られた。今はその村もかなり崩壊してしまったが、かといって徹底した個人にもなりきれず、この世知辛い時代になるとかえって拠り所としての「村願望」がまた頭をもたげようとしている。
個人に「魂」などというものはない。それは常に「村という幻想」の中にある。

廃墟好きの佐藤工房としては新しくきれいになった空間にはあまり魅力を感じない、その程度のことですね。
だから、たくさん使って早く汚くグチャグチャにしちゃおうという戦略も一方ではありますが、永田町でもそうですが、がちがちの石頭の官僚というのは想像以上に手ごわいですぞ。なにしろ、自分こそ「常識」そのものと思ってますからね。この「普通の人の感覚」というものほど頑強なものはないですよ。

というわけで、「灯り展」ですね。(今、ちょっと話が脱線しそうになったんですけど、何とか踏みとどまりました)
まーなにごともやってみなくちゃわかりません。「昼あんどん展」みたいになるかもしれませんが、それはそれでまたえらくズレてますので、違った意味で常識を問うことにもなるかもしれません。
あとまだ一週間ぐらいあります。その間にぼちぼち考えてみるつもりです。

こんなのはいかがでしょう。「赤い脳みそ」としてみました。
がちがちではありませんが、空っぽです。ゴミがいっぱい詰まってるよりはいいかもしれません。
暗くなるとひとりでに灯るくなってきます。空っぽほど明るかったりして。
# by satokobo | 2009-11-13 00:37 | 南伊豆ギャラリーみいづ | Trackback | Comments(0)
いい人
 ここ2,3日ちょっと引っかかるところあって「いい人」というもの(者)について考えてます。
「良い人」です。漢字で書くと。これはもう、よくある「広辞苑」などで調べる必要もないですね。
字の意味はいたって明瞭に思われます。
ただこれをじゃー詳しく具体的に説明しろと言われると、「いい人は、いい人だよ」ぐらいで済ましたくなってしまいます。
漠然といい人と言ってしまうと、意外と一般的には説明が難しくなってしまい、つい自分の思ういい人、自分にとっていい人とか、人それぞれによっていい人の概念や、イメージが違って当たり前、みたいな話になってきそうです。
ま、抽象的な言葉にはこんなことはごく普通のことではありますが。例えば「愛」とか「夢」、「希望」、「命」、「魂」なあ~んてね、いったい何を言ってんのかさっぱりわけがわからなくなってしまいます。(と言うのは佐藤工房だけでしょうか?)
で、なんとなく感づいてるかもしれませんが、こんな「愛」とか「夢」とかよくわけのわからないことをまことしやかにニコニコ語ったり、歌ったりしてる人に、なあ~んか「いい人」達って多いんだよね。
あ、今笑った人、あなた、いい人じゃないでしょ!もちろん、いい人のふりしてるけどさ。

ちょっと前の「いい人」って、「正義」とか「誠実」とか、なんか真面目な「人格」みたいな感じでしたが、そのもっと昔には「忠義」だとか「礼節」、「仁」なんて儒教みたいな時代もありましたね。要は「いい人」って人によっても違うし、その時代の流行りすたりもある。
さしずめ現代なら、ポップでおしゃれ、時代のトレンドを先取りしていくような柔らかな感性、そしてしっかりと周りの空気が読めて、けしてでしゃばらず、押し付けず、我を出さない、しかもちゃんとキャラは立っている、言うならば、思いやり、とか、おもてなし、みたいなもんを商売にしてる「ちゃっかり適応型」、そんな「いい人業界」の人たち、(もちろん表向きだけじゃなく、裏側も、ココロからいい人)魂を売る人たち。
いくら売ってもなくならない、そんな「タフな魂」をもった人たちが、いい人なんですね。

佐藤工房とは無縁ですね。
# by satokobo | 2009-11-09 23:51 | Trackback | Comments(0)
それでも日本のめっき技術は世界一 または「かにかま」
 「レアメタル」って知ってますか?
最近よく聞くことあるでしょう。パソコンとか携帯とか、ハイテク製品によく使われてる、「希少金属」のこというんですね。
具体的にどんな金属が思い浮かびます?物理や科学に強い人ならすぐに出てくるでしょうけどね。
一番身近なとこで「金」つまりゴールドなんかもそうです。高価なところからプラチナだとか所謂「白金族」、最近流行のチタンとか、ウランなんかもそうです。種類はいっぱいありますが、資源としての埋蔵量は鉄やアルミに比べてはるかに少ないのです。
ま、昔はね、つまりローテク時代には、ただ珍しいだけの金属元素であまり使い道もなかったのですが、今や超ハイテク時代になって、鵜の目鷹の目宝の目という奪い合いに近い様相になってきてるそうです。
何せ、その希少性にかけては「金」と同じかそれ以上のものもあるわけです。もちろん「価値」、つまり「値段」です。ちなみに携帯一台に付き、壊れていても2~3000円のレアメタル回収価値があるそうです。(たくさん集めると大もうけ間違いなし!)

さて、携帯も持っていない佐藤工房ですが前置きが長くなってしまいました。
携帯はないのですが、一応ジュエリーを扱ってる工房の端くれとしては、意外とこのレアメタルが直接関わってきたりします。「ロジウム」という白金族の美しいレアメタルがあります。原子番号は、(Pさんではないので)知りません。(ちなみにラジウムはキュリー夫人が発見した放射性元素です)
ロジウムは通常めっきに使われていて、そのままソリッドでリングとかいうのはあまり聞きません。
佐藤工房でも、ジュエリーの金具にロジウムめっきのものを使用していたというぐらいで、美しい上に丈夫で長持ち、値段的にも金メッキとたいして変わらず、いたってポピュラーなものだったのです。ついこの一、二年ぐらいまでは・・です。
まさか、そのロジウムめっきそのものがなくなっていたとは、つい最近、金具問屋に注文出してびっくりしてしまいました。
なんと市場相場で一気に100倍の値上がり!どひゃ~!
確かに一時期鉄だろうが銅だろうが、マンホールの蓋まで盗まれていた頃がありましたが、それにしてもいくら希少金属とはいえ、・・なんでも新しい車の触媒に使われだした・・とか言う噂らしいのですがね・・どこぞのハイブリッドカーの会社に地球規模の量で買い占めされちゃったのでしょうか?それで今年も赤字だったりして・・
それなら同んなじようにウランでも大量に使って「原発」やら「核弾頭」いっぱい作れば、ウランの値段が一気に高騰して、しまいには使かえんようになるんとちゃうか?いっそ世界中「原爆」だらけにしたらそれでしまいやろ。そうしよ。

ええ、話はロジウムめっきでしたが、それでね、ここからがいかにも日本人的発想じゃないかなと思ったんですが、ロジウムめっきはないが、「代用ロジウムめっき」ならある、と言うんですわ。
代用ロジウムめっきですよ。合点のよい人ならもうすぐにピーんときてますね。
「かにかまぼこ」じゃないんですから、いや「かにかま」の方がまだ判りいいかな。
あ、でも、人によっては「そうですか」ですんじゃう人も大勢いるんでしょうね。同じ日本人ですものね、空気読めちゃうし。何だ、代用のロジウムめっきがあるんじゃ。~そりゃあ意味はわかりますよ、私だって。
でもね、ロジウムめっきの代用ですよ。だったら、そのものの名前を書いてよ、ぐらい言いたくならない?
「ロジウムの代わりにいったい何を使ってるんだ?」とね。誰も気になんないのかな~かにかまののった寿司なんか絶対食べたくないよな~これもアナクロの一種かな。

他愛のない話でした。こんなことは日本全国どこでも日常茶飯事の慣例的処置でしたね。
何事もはっきり言わない、しないところがこの国の良さであり伝統であります。
天下りでないと言えば天下りでない、憲法違反でないと言えば憲法違反ではない。
沖縄の人がはっきり嫌だといってるのに嫌じゃない。
最初から要らないものとわかって造っているのにそれを言っちゃおしまいよとかね。
偽装と模倣でここまで大国になった国ですからね。その技術ときたら世界一!
「代用4番」の大活躍で、日本人にまた夢と希望と勇気が湧いてきました、(その勢いで来週世界最強の男をへこますかな)むくむく!

ちなみに従来のロジウムめっきのことは「本ロジウムめっき」といいます。「本シメジ」じゃないだろうね?
# by satokobo | 2009-11-06 01:04 | Trackback | Comments(0)
憲法9条廃止 自衛隊民営化 平和と空気はただじゃない
 夜祭の 太鼓の音か 雨囃子

ちょうどお宮についてバザーのご馳走を食べ始めたらザザーッと音をたてて降りだしました。
風も吹き出し荒れ模様必至ですが、バザーのお母さん方は何のその、テントに溜まった雨水を流しながらパクパク食べ始めてます。お宮の旦那衆たちは酒も飲んだしぼちぼち始めるかと、マッタリと気の抜けたテンポの太鼓を叩き始めました。
毎年そうですが、この抜け加減がたまりません。ドシャ降りでもハッピ姿の子供たちはおおはしゃぎ。むしろこの雨がさらに日常からの「抜け」を演出するのです。な~んてね、すでに祭りそのものが日常的なイベント化してしまった現代ではね、佐藤工房はびしょ濡れになったズボンをしおにさっさと偽装された非日常空間から「抜け」出してしまいました。
焼き鳥、豚汁、焼きそば、ご馳走様でした。抜け出せない現代人にとって満腹は究極の日常です。

雨音に 霞む太鼓の 秋祭り

さて、そこでどうやって、私たちは失った祭り(非日常性)を取り返すことができるのでしょう?
あ、私たち、ではありませんね。私だけと言った方がいいでしょうか。
非日常なんていらねーよ、って言う人たちはいっぱいいますもんね。危ないとか、わからないとか、面倒くさいとか言って、そのくせ、夢~とか、憧れ~とか、宝くじ~な~んて言っちゃったりして。
でもね、本当言うと「満腹」は日常じゃないのですよ。「平和」なんかもね。人間は戦争してる方が当たり前だったりして。

日本国憲法第9条がいよいよ抹消の射程内に入ってきたようです。
社民党が存在してる以上は絶対にそんなことはさせない、と力強くおっしゃってましたが。あの福島さんの真面目そうな声と話し方を聞いているとなんともいえないエロチシズム?を感じてしまうのは佐藤工房だけでしょうか?
時々国会でもどすの効いた野次の中に黄色い声援様のものが混じっているのですが、アノ声、もそうなんでしょうか?あほなオヤジ達に負けじと野次ってのんかな~
そんな情けない話はともかく、憲法改正(悪)のための国民投票の準備が着々と進んでます。民主党はどっちでしたっけ?
なにしろ、与党と野党と人の名前は入れ替わっただけで、全く同じやり取りを繰り返しているだけの話ですから。
憲法9条廃止、自衛隊の戦争権確立、そして自衛隊の民営化、海外派兵、東アジア共同体の樹立と、いいぞいいぞ!!!
今国民の80%以上は憲法改正(悪)賛成、らしい、です。もちろん誰がそんなこと言ってるのか、賢い国民の皆さんならもうおわかりですね。
これで高失業率も解消だ。貧乏人は皆「戦争請負派遣会社」に登録しよう!お手当てをもらえない母子家庭も一緒に戦争に行こう!
夢と希望と友愛ですね。これら別名を「日常」といいます。あ、「平和」もでした。
# by satokobo | 2009-11-02 00:54 | Trackback | Comments(0)
南伊豆子浦の浜の「平和の塔」

 弓ヶ浜ヴィラの仕事も終わったので、少し(かなりかな)のんびりと子浦の浜を散歩していたら、こんな作品ができていました。
二つ目の台風のおかげで、前に浜掃除したと思ったらもう元の木阿弥です。しかし佐藤工房とするとこんなアートな楽しみもあるので、毎週徹底的にクリーンしてゴミはおろか貝殻一つ落ちてない弓が浜よりは、この方がはるかに自然といえば自然なのです。人間のいる自然ですね。人間も含めて、つまりその文化文明が作り出す人工物(ゴミ)も含めてのより広義の意味での自然です。
ま、何事も拡大解釈していって、全てを相対化、なし崩しにして、その場その時で都合よくやってしまうのも現代文明のやり方です。それが人間の自然な振る舞いだとしたらね。

だから逆にアートが自然になる。自然の美しさがアートになるのではないのですよ。
人間が出す汚いゴミだからこそ、それが自然なアートとなるのです。
別に佐藤工房の弁解をしているわけではありませんよ。写真の流木作品も本当に佐藤工房のものではありませんし。だからこそ嬉しくなるんですけどね。他の部落の人が見たら、忌々しいことしやがって・・なんて言うかもしれませんが。

何故「ジャンクアート」というものがあるか、これでお分かりですね。あ、知りませんでした?日本語で言うと「ゴミ芸術」、「護美芸術」の方がいいかな、綺麗っぽくて。

いや、実はね最近、田舎の実家(北海道)から、佐藤工房が大昔に描いた油絵作品をダンボールで送ってきちゃってね、いやはや、懐かしいというより、そー言えばこんな絵ー描いてたっけな~、困ったな~という感じでして正直、ゴミ芸術というより、アートなゴミだな、どーすべー、なのです。
非常にプライベートな話で恐縮なのですが、私の両親はまだ健在でして、もう二人とも70は過ぎてますが、そろそろ仕度を始めてるんですね。それで二人の物はともかく、子供の物、つまり私の物をきれいに処分しようというわけなんですわ。それで時々ダンボールに私の子供時代のガラクタやら宝物?まで一切つめて送ってくるのです。逆に言うと、私はもう北海道の家に戻らない(いらない)ということの裏返しの表れなんですね。
なんとなんと、この「家族の絆」強化時代にあって、実に「子離れ」のいい、そしてまた「親離れ」のいいケースなんでしょう。
自慢ではないですが、私は「親孝行」など一度たりとも、これっぽちもしたことなどありません。

話を戻しましょう。といって、こんなアートの話なんかしようとは思ってなかったのですが。
例えばね、よく言われますが、「人の心を豊かにする」ものがアートなんかじゃないですよ。
美しいものでも楽しいものでもない、まして啓蒙的なんかでもない、情操教育なんて屁でもない。アートに有用な価値なんてものは一切ない。むしろそれをぶっ壊していくものがアートの真髄なのです。
むんんん、相当にアナクロなこと言ってるでしょう(ユニクロじゃないですよ)。大正デカダンスですな、中原中也でもあるまいし。
しかしアート史的にはその頃で現代アートは終わってるのです。シュールからダダになって(逆か?)、あとは戦争あるのみ。やがて平和が訪れ反アートになり、豊かな生活、ポップにいたってはもうコピペと同じです。それからずうっと今に至ってます。コマーシャルとプロパガンダしかありません。(わずかに第三世界にまだわけのわからないものも残っていましたが、それもグローバリズムが飲み込んでいきます。つまり商品化です)
平和で豊かな時代にはアートは死んでいるのです。

心を豊かにしようと思ったらアートではなく、ゴミをあさればいいでしょう。
子浦の浜に限らずこの世はゴミで溢れかえっています。それが何より豊かさの証拠です。
佐藤工房もゴミに違いありません。だからの「ジャンクアート」なのです。

ほれ、この通り。
いずれがゴミかカキツバタ?
# by satokobo | 2009-10-31 01:09 | 南伊豆ネイチャークラブ | Trackback | Comments(0)
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