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南伊豆アジール カフェ アート ジャンチーク 佐藤工房

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satokoboは信州辰野町に引っ越しました。新しくhttps://note.com/satokobo始めました。南伊豆の海や山でアジールに生きてます。好い加減なカフェとジャンクなアートで無用の逸脱に呆けてみますか。

弱い者が生きる方

 「南伊豆芸術家集団みいづ」による「南伊豆湯の花観光交流館展示所」の常設展示スペースの全体的なフレームがほぼ出来上がりました。(なんか長たらしいな)
何しろ6角形の小さな建物なので、効率よく配置しようとするとやはり同じ6角形になってしまいます。これから猫の額ほどの展示スペースを二,三十人のみいづ会員で分割しなければなりません。大変なのはこれからです。
展示用テーブル造りと塗装などに参加協力いただいた多くの会員の方々に大変感謝いたします。ご苦労様でした。
お忙しいところ自発的に作業応援などしてくれた方、召集をかけられてしぶしぶやってきてくれた方、温度差や目論見は色々ですが、この作業を通じて南伊豆芸術家集団として少しでも共同的な意識を持てたのは良かったのではないかと思っております。(あるいは逆の効果もあったでしょうか、無論それも良し、です。)

さて、オープンは2月1日です。
その2日前日ぐらいにスペース分割と作品搬入です。
配置決定は例によって「阿弥陀くじ」でしょうか。なんとも最も民主的政治的方法です。

2月5日からは「南の桜祭り」に合わせた「桜テーマ館」なるものが特別展示されます。
狭く限られたスペースの中、常設展示との兼ね合いが図られますが、これも強力な執行部の体制のもと、どんどん進められるものと思われます。
佐藤工房としてはこの一方的な強力な流れに対してやはり一陣のさわやかな風穴を開けてやらなくてはなりません。
アートは基本的に政治の要素を含んでいます。(人間のやることなら何でもそうなのですが)
それを全く意識せずにのほほんとしていればピ-ス&ハッピーというものでもありません。
かといって、同じ土俵にのってクンズホグレズやってもいられません。
無意識のまま爆発するのもどうかと思います。
さて、どうしましょう?
ここで、方法の問題、というのが出てきたりします。(これがまた厄介な問題そのものなのです)
こういった流れは私達の日常生活や他人、社会との関係において常に起こっている問題です。別に取り立てて政治的ではなくとも家庭でも恋愛でも友達同士でもしょっちゅう起きている摩擦なのです。
何しろ人間は生まれる前からすでに社会の中にあって、その体制の中にどっぷり浸かっているのですから。
いわば無意識状態にあって既に政治的存在なのです。どんなにノンポリのパッパラパーでもそれなりのイデオロギーが刷り込まれているのです。ただ自覚しないだけです。
だから、そこに、さわやかな風ですね~まずは自覚からです。
そー言うお前はどうなんだ?と言われそうですがね。寝ぼけてるのかもしれません。
目覚めましょう。

えーつい流れで書いてしまいましたが、「南芸団」に話しを戻しますと、皆さん一流一家の芸術家が集まってますから、それを一つの小さな小さな展示場に仲良く収めるのは大変なことです。幸い強力なブルドーザーのような執行部がどんどん進んでくれますから、その後ろをとぼとぼとついて行くということも可能なわけです。
何しろ、口を出すのは簡単ですが、行動するのは大変なのです。できる者がやる、やりたい者がやる、多少自腹も切る、ボランティアは当然のことです。しかしそうは言っても奉仕活動ではありません。全ては自分のため、あるいは自分も含めた集団のために、どれだけ主体性を持って動けるか、それに尽きるのです。
もちろんたまたま居合わした他人の船にちょいと腰掛程度に便乗した、というスタンスもあるでしょう。それはそれで何の問題もありません。居心地が良ければもう少し乗ってるし、ちっとも面白くなければ次の波止場で降りればよいだけです。中にはあまり先も見ずどんどん漕いで行く船頭と合わない客も出てくるかもしれません。「わしにも漕がせろ~」とか言って櫓をひったくる剛の者も乗り込んでくるかもしれませんし、新しい水夫が現れるのはむしろ望むところでもあるぐらいです。
とにかく、ま、これは佐藤工房だけの私見ですが、この世の中、どんどん動かしていくのはそれなりに力のある人たちです。いわば、今、人類はまだ「力の時代」にあるのです。
能力、資力、努力も含めて、一つの集団を仕切って行くのはそれ相応の意欲と力のある人たちです。
しかし、「南芸団」は熱海の芸者衆の集まりでも、南洋捕鯨船団でもありません。
潜在的には政治や利害を含むことはまぬがれないにしても、一応は脱政治化(そうでなければ本来的に芸術の生命はありえません)を意識した個人における芸術家集団なのですから。無自覚な利権闘争組織とは一線を画すはずでしょう。
自ずとその集団性の意味も表れてくるものと思います。

いや、皆さん、そこのところ十分勝手バラバラですから、何の不都合もないですね。
by satokobo | 2009-01-28 00:50 | 南伊豆ギャラリーみいづ

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